My Opinion ( 〜 2000年12月)


2000年12月29日(金)


[風化するロッキード事件]
 最近、「田中角栄の真実−弁護人から見たロッキード事件」なる本が出版された。著者はロッキード裁判の第一審から最高裁まで田中角栄元総理の弁護士を勤めた木村喜助氏。
 ページをぱらぱら見てみたが、「首相に職務権限がないのに有罪にされた」「もともとの逮捕容疑は外為法違反であり、別件逮捕だ」「清水ノートというアリバイがあるのに有罪というのはおかしい」、などなど、どれもこれも当時のロッキード裁判において、きれいに論駁された田中擁護論をならべているだけ。もしかして木村氏は、ご自分が弁護士として担当された裁判で何が争われたのか、さっぱり忘れてしまったのだろうか。読めば読むほどアホらしくなってくる本だが、なかなかどうして、売れ行きは順調らしい。
 そんななか、ロッキード事件の贈賄側である元丸紅会長の桧山広氏が25日、死去した(朝日新聞 12/29)。ロッキード裁判が発覚したのが76年、ということは、ちょうど私が1歳になるかならないかの時だから、事件が風化するのも無理はないかもしれない。
 しかしこの記事で私が驚いたのは、桧山氏が85年に丸紅の名誉顧問に就任し、つい最近の99年3月まで同社顧問を務めたという事実である。というのも、ロッキード裁判の最高裁判決として、95年に桧山氏への懲役2年6ヶ月の実刑判決が確定しているからである。つまり刑が確定した後も、4年近くものあいだ丸紅の名誉顧問を務めていたことになるのだ。
 これがもし普通の会社員なら、何かの罪で2年6ヶ月もの実刑判決を受けたとしたら、ただちに解雇されているはずである。あるいは刑事被告人になった時点で、社内での信用を失い、会社を辞めざるを得なくなる(最近の痴漢冤罪事件でも、こうしたことが起きている)。
 実刑判決後も元会長に適切な処分を下せない丸紅。これはどう考えても、"身内に甘い処分" であると言わざるを得ない。

 「田中角栄の真実」という本については、その内容に問題点が山ほどあるので、これについては後日詳しく論じることにする。
【参考HP】
「田中角栄の真実」の紹介: http://www.koubundou.co.jp/books/pages/kbn7618.html



2000年12月15日(金)


[想像を絶するハンセン病隔離政策の実態]
 2年ほど前、卒業旅行としてヨーロッパを旅していたときのこと。 ある日、スペインのバルセロナで一人の日本人バックパッカーに出会った。 某一流大学の医学部生だという彼と駅のベンチにすわって話しているとき、 ふと彼は隣のベンチに目をやった。見ると、 浮浪者風の男が頬をボリボリと掻いている。もう片方の手には、指がない。

「気をつけたほうがいい・・・らい病ですよ」

まわりの人たちに日本語が通じないのを知ってか知らずか、 彼は周囲にも聞こえるくらいの声で、そう言った。
しかし、だからどうしたのかと思い、座ったままぽかんとしていると、 彼は、急いで場所を移ろう、と、私の腕を引っ張った。 真剣な顔つきで、こう言いながら・・・。

「らい病は空気感染するんですよ! 私、知ってるんです。  悪いことは言わないから、早くここを離れたほうがいい!」

 つい数年前(平成8年)まで日本には、ハンセン病患者を全国13ヶ所にある施設に、 なかば強制的に隔離する、「らい予防法」と呼ばれる法律があった。施設では所長の 言うことに反抗すると独房に入れられる、一部の患者には本人の同意を得ることなく 断種手術がおこなわれる、などの人権侵害が まかり通っていたことは当時のニュースなどで知ってはいたが、先日放送された ドキュメンタリー番組 《封印された叫び〜国策・ハンセン病隔離の罪〜》で示された施設の実態は、 それを遙かに越えるものだった(12/6 フジテレビ系列 2:25〜3:20放送)。
 らい予防法が制定されたのは明治時代、民族浄化思想に加えて「対外的ナ体面ヲ保ツタメ」との 理由からだったという。要するに "不良な子孫" を社会から根絶しようという、 ナチス・ドイツにも似た優生思想と、顔や手が崩れおちるなど、容姿の醜い者を 人々(特に外国人)の目から隠すという差別的な政策とが相伴って作成されたのである。
 ハンセン病患者の根絶、という国の政策は、患者を人間として扱わないほどに徹底して行われた。 療養所とは名ばかりで治療行為はほとんどされず、収容された患者たちは死ぬまでの間、 敷地内から出ることも禁じられていた。施設の隣には必ず火葬場が設置されていた。 ある患者は当時をふりかえり、「施設の外に出られるのは、煙になってからだった」と静かに語った。
 患者たちは療養所内で結婚することは認められたが、そのかわりに夫は断種手術が強要され、 妊娠した女性患者は本人の意思に関係なく堕胎された。こうして堕胎された胎児の遺体は、 つい最近までホルマリン漬けの標本となって療養所内の研究室に並べられていたという。
 こうした非人道的な犯罪行為が国家の手によっておこなわれ、しかもつい最近まで、 それを認める法律が堂々と施行されていたのである。日本政府が国際人権規約のうちの 市民の権利に関する、いわゆる「B規約」の第一選択議定書を、先進国のなかでは唯一 いまだに承認していないというのも、うなずける話である。
 2年前、500人を越える当時の患者たちが国を相手取り、国家賠償と謝罪を求める裁判を起こした。 しかし国はいまだに責任を認めていないという。ここでもまた、 自分たちの犯した過去の行為に対して責任を取ろうとしない日本の姿が、ある。

【注】
 ハンセン病は、らい菌によって感染する病気であり、しばしば言われるような 遺伝病ではありません。らい菌の感染力は非常に弱く、大人の場合、 先の某医学生が言ったような、空気感染するということはありません。
 菌に感染する恐れがあるのは、免疫の抵抗力の弱い幼児(それもごく一部)だけです。 ハンセン病は数十年前から、複数の抗生物質からなる内服薬によって治る病気になっています。 年輩の患者さんのなかには、不幸にも指や顔が菌によって崩れてしまった方もおられますが、 これは昔ハンセン病が不治の病だったときの名残であり、決して今でもハンセン病にかかっている ということではありません。
 それにしても冒頭に紹介したような、ハンセン病に関してデタラメなことを言う人が 数年後には医者になるのかと思うと、なんとも言えない憂鬱な気分になってしまう。。。
 
【参考HP】
ハンセン病資料室: http://herz.pobox.ne.jp/kamui/kakuri/doc/bunken.html



2000年12月8日(金)

[高校化する大学]
 分数のできない学生、高校レベルの「生物」すら 知らない医学部生・・・。大学生の学力低下が問題になって久しいが、 朝日新聞の≪大学はどこへ≫と題された記事には驚いた(朝日新聞 12/5)。
 ≪進む高校化≫という副題がつけられた記事には、こんな例が紹介されていた。
 (西武文理大学では)茶髪、ピアスは禁止。男子の長髪、女子のマニキュアも禁止だ。 毎朝、正門で教職員にチェックされ、違反なら「イエローカード」が出される・・・ (中略)・・・学内のいたるところに、あいさつの徹底を促し、誠実や信頼・奉仕の 精神を求める紙やプレートがはられている。
 これではまるで、校則で生徒をがんじがらめにしている中学や高校と同じではないか。 あげくの果てには、なんとこの大学には制服まであるという。
 さすがに学生の反発もすさまじいだろうと思ったが、信じられないことに そうでもないという。
 「毎日服を選ばなくてもいいし、かえって楽かな」「いろいろ規則が細かいけど、 そんなに嫌じゃない」(いずれも一年生男子)など、あまり抵抗感はないようだ。
 細かい規則で学生をしばる大学側と、二十歳前後にもなって不条理な規則に 黙々と従いつづける学生たち。記事を読み進むうちに暗澹とした気分になった。
 確かにこの男子学生の言うように、他人に決めてもらえれば自分で迷わなくてもよい分、 楽といえば楽である。先生や上司など、上が決めたことに対して思考停止し、 無批判従っていれば、それなりに認めてもらえるものである(少なくとも、否定されることはない)。 しかし批判精神のないところに、新しい発想や、時代を切り開くアイデアなどは、望むべくもない。
 このような大学の卒業生は、ひと昔前の日本社会であれば優秀な "企業戦士" の候補 として引く手あまただったろうが、しかし裏をかえせば単なる "指示待ち人間" にすぎない。 こんなことで彼(彼女)らの就職は大丈夫なのかと、心配になってくる。 しかしそれ以上に心配なのが、記事によると、多かれ少なかれこのようなことが、どうやら 全国的な現象として起きているということである。
 頭ガチガチの "長老" たちが決めた社会の体制に、 もっとも強く反発していたのは、いつの時代も若者だったはずである。 そんな若者たちが自分の頭でものごとを考えず、上の決めたことに 無批判に従うならば、行き着く先は民主主義の死、以外にない。 というのも、権力に対して常に批判的な立場をとる者の存在が、民主主義社会が維持するための 最低限の条件だからである (マスメディアがしばしば "第4の権力" と呼ばれるのも、そのためである)。
 大学生の学力低下は、単に「最近の若いモンは・・・」というだけでは 済まされない、大きな問題を孕んでいるのである。
【参考HP】
西武文理大学: http://www.bunri-c.ac.jp/univ/
高等教育フォーラム: http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/forum/index.html



2000年12月4日(月)

[内閣改造 えっ、この人が!?]
 いよいよ明日、内閣改造がおこなわれる。 とうとう森総理のままで21世紀を迎えるのかと思うと、 暗澹とした気分になってくる。 かと言って、総理大臣にふさわしい人が他にいるわけでもないのだが (石原慎太郎だって??論外!)。
 今日のニュースはもっぱら田中眞紀子さんがどうなるか、という話でもちきりだが、 今回、入閣候補として名前があがった人々のなかに少し気になる人物がいた。 持永和見氏である(12/4付 読売新聞)。というのも持永氏は、あの、 薬害エイズ事件を引き起こした重要な責任者の一人だからだ。
 薬害エイズ事件では、すでに83年当時の厚生省・生物製剤課課長だった郡司氏が 刑事責任を問われて、現在その裁判が進行中だが、その郡司氏と同じ時期に 厚生省・薬務局長という重要なポストにいたのが、持永氏なのである。 これまでに裁判で出された資料や、NHK(「埋もれたエイズ報告」など)をはじめ 各種報道などにより、この時期、両氏ともに @一部の非加熱製剤がHIVウィルスに汚染されていること、 Aそれらを使用することで感染の危険性があること、およびBクリオ製剤に切りかえることで HIV感染のリスクをほぼゼロにできること、を十分に認識していたことが明らかとなっている。 しかも当時の2人は、危険な非加熱製剤の回収を命令できる立場にありながら、 何ら予防策をとらなかったのである。その結果、500人以上の人々がその後 非製剤によってHIVに感染させられたのである。
 こんな人物が、いまでも堂々と議員バッジをつけているだけでなく、閣僚候補にまで 名前があがるというのだから、酷いものである。
【参考HP】
持永 和見: http://www.jimin.or.jp/jimin/giindata/mochinaga-ka.html
医療を考える会: http://www.v-net.ne.jp/~pikaia/index.html
(注)上記、医療を考える会の脳死をめぐる主張には、納得できない部分が多い。


2000年12月3日(日)

[いかにも・・・]
 ≪花岡事件 和解へ≫(11/29 朝日新聞)と題された記事が朝刊1面で報じられた 3日後、≪花岡事件を知らなかった≫という投書が14面のトップに掲載されていた (12/2 朝日新聞)。投書の主は22歳の専門学校生で、こんな内容だった。

 私は、この報道で初めて花岡事件を知りました。そしてショックだったのは、 これまでこの事件を知らなかったことです。
 学校で教わったことは「戦争中、多くの外国人が連行され、 強制労働させられました」。たったこれだけだったと記憶しています。
これを読んで、私はあいた口がふさがらなかった。 あまりにもステレオタイプな、まるで 絵に描いたような "朝日新聞におあつらえの優等生的文章" だからだ。
 念のためにことわっておくが、私は「国民の歴史」に代表される、 例の "自由主義史観" に立つものではない。むしろそれとは真っ向から 対立するものである (私のみるところ、「国民の歴史」は単なる "浩瀚なクズ本" であり、 自由主義史観はただの "オヤジ慰撫史観" としか思えない。 自由主義史観の問題については、いずれまとめて書く予定である)。
 この投書で私が問題だと思うのは、投書の主が22歳であるにもかかわらず、 「この事件を知らなかった」のが「ショック」だったのは 花岡事件を「学校で教わった」ことがなかったからだ、 という、そのとらえ方である。学校で教えてもらえなかったのなら、 どうして自分から積極的に調べようとしなかったのだろうか? これではまるで、典型的な "指示待ち人間" ではないか。
 この投書の筆者が中学生か高校生だというならまだしも、 彼女は22歳の専門学校生である。 しかも投書からすると彼女は「戦争中、多くの外国人が連行され、 強制労働させられました」ということは学校で教わったという。 ならばなおさら、学校で教わったことをもとに 自分から具体的な事例について知ることもできたはずである。
 さらに問題なのが、このような投書を堂々と紙面に掲載する朝日新聞の姿勢である。 おそらくこの投書の行間から読み取れる「日本の加害責任についてもっと学校で教えるべきだ」 との主張に共感してのことだろうが、それにしても、と思わざるをえない。
 朝日新聞の投書欄には月におよそ1000通もの投書が来るそうだが、 他にもっと載せるべきものは無かったのだろうか。

【参考HP】
「強制連行」関係リンク集: http://www.hyogo-iic.ne.jp/%7Erokko/kr/rink.html
自由主義史観研究会: http://www.jiyuu-shikan.org/


2000年12月2日(土)

[チョンムスターグ山登頂記録に期待!]
 中央アジア、チョンムスターグ山(6,962m)に今年の8月、早稲田大学の登山隊が登頂に成功し、 このほど報告書を出版したという(12/2 朝日新聞)。
 記事のタイトルは「前人未踏220キロを記録」と、いたって地味なものになっており、 内容も普通に読むと「ふーん」で終わってしまいそうなベタ記事扱いだったが、 これが実はスゴイことなのだ。
 というのも、崑崙山脈の奥深くに位置するチョンムスターグ山は、 あまりに奥地にあるために、これまで世界中で誰一人として 登ったことがないうえに、そもそも満足な写真さえ撮影されたことがないという、 文字通り "幻の山" なのである(数年前に、このプロジェクトの準備のために 早稲田大の調査隊が写真を撮影し、それではじめて登山チームが 山の詳しい形状を知ることができたという)。
 この "20世紀最後の探検" ともいえる登頂の様子は、 来年3月にテレビ朝日系列で放送される予定だとか。その内容に期待したい。
【参考HP】
asahi.com:http://asahi2.asahi.com/paper/sports/mountain/index.html

2000年12月2日(土)


[共産党の変身は本物か?]
 共産党が第22回党大会で、これまで以上に踏み込んだ柔軟路線を打ち立てた(11/26 朝日新聞)。 今回の党大会で新しく委員長に選出された志位和夫書記局長(これまで委員長だった不破氏は議長に就任)は 11/29放映のTVで、こう発言した。
 「私たちは党の中に一切序列はつけない。指導部間でも、中央委員会、都道府県委員会、地区委員会 そして支部の皆さんの間にも一切上下関係はない。今度の規約でも上級、下級という言葉は 極力なくした。」
 つまり上下関係にしばられずに、誰でも党内で自由に意見を述べられるというのだが、 はたしてそうだろうか?私はそうは思わない。というのも今回の党大会でも、共産党は依然として 党の組織原則である "民主集中制" に、いっさい手をつけていないからだ。
 この制度はもともとロシアのボルシェヴィキの党規約にのっとって作られたものであり、 個人は組織に、下級は上級に無条件に従い、下級組織は上級組織の決定に反するような決定は してはならない、とするものである。つまりもし共産党が政権を取れば、今回の森首相に対する 不信任決議案をめぐる加藤氏の反乱のようなことは決して起こらないのである。民主集中制のもとでは 仮に上級組織の決定に不満があっても、決定された以上それに従わなければならないのである。 それでももし上級組織の決定にガマンができず、自分の意見を党内にアピールするとどうなるか? 「転向者」「日和見主義者」などのレッテルを貼られ、除名処分になり一件落着である (ひと昔前に起きた袴田氏除名処分などは、その典型)。
 こうしたことから共産党では、党大会の決議は毎回全会一致で決定されるし、ときおりマスコミが 政治問題に関して議員にアンケートをとると共産党だけが一人残らず賛成(もしくは反対) と答えるのである。
 今回の党大会では966人の代議員のなかでたった一人が決議に対する意見を保留したことがニュースになったが、 そもそもこんなことがニュースになること自体、おかしなことである(もちろん残りの965人は、 民主集中制に従い上級組織の下した決定に賛成したのである)。 このような軍隊まがいの組織原則が民主主義に反することは明らかである。 共産党が本当に一般の人々に開かれた柔軟な政党になるためには、なによりもまず 民主集中制を廃止すべきである。
 志位氏は「今度の規約でも上級、下級という言葉は極力なくした」というが、 問題の根本にある民主集中制に手をつけない限り、いくら規約から「上級」「下級」 という語句をなくしても、単なる言葉のスリカエにしか思えない。


 共産党についてはまだまだ言いたいことが山ほどあるので、 適宜このコラムでも述べてゆくことにする予定である。

【参考HP】
日本共産党:http://www.jcp.or.jp/
さざ波通信:http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/index.html

2000年12月2日(土)

 
[おいしいサモサのつくりかた]
 いつものように新聞を読んでると、サモサの作り方なんてのがあった(11/26 朝日新聞)。 サモサというのはインドの道ばたや駅の売店でよく売ってるカレー風味の揚げ物。 インドを旅してるときには、道ばたで、駅で、長距離バスで、と、いろんなところで よくお世話になりました。。。

【用意するもの】
ジャガイモ、タマネギ、あいびき肉、砂糖、ケチャップ、カレー粉、塩、春巻きの皮、油。

【作り方】
1. ジャガイモを、ポテトサラダの要領でやわらかくしてつぶす。(電子レンジがあれば便利!)
2. タマネギ、あいびき肉をフライパンで炒める。
3. 砂糖、ケチャップ、そして当然カレー粉を入れて味付け。その後、ポテトとまぜる。
4. 長方形にした春巻きの皮につつみ、三角の牛乳パックのような形にして小麦粉をといた水で端をキュッととめる。
5. フライパンに1/3ほど油を入れて、キツネ色になるまで揚げ焼きにしてできあがり!

新聞ではここまでしか書いてなかったけど、 インドでは時々、こうしてできたサモサの上になぜかイチゴジャムをかけて、 バリバリ、グチャグチャとつぶしたものが出てきました。 カレー味にジャムという、インド人もビックリ(?)のこの組み合わせには、 さすがに最初はギョッとしたけど意外とおいしかった! 興味あるかたは、どうぞ。ハマります(笑)。
【参考HP】
日印ポータルサイト:http://www.indo.to